2006年06月30日

【掌編】名品

それは私がまだソース鑑定の職に就いたばかりの頃のことだ。

品川のとあるホテルで、缶詰作業をしているプログラマのレポートをした帰りに、ふと、ロビーに面した一室でソースの個展が開かれているのを目にした。

日本の有名なソースライターについては広く知っている私だったが、その個展の作者の名前はさっぱり記憶になかった。つまりは無名のソースライターということなのだろう。

部屋に入ると、CやC++、アセンブラといった古典的なものから、JSPのみで構成される巨大システムや、エミュレータ上で動く実用的なCASL2プログラムといった、良く言えば野心的、悪く言えば道楽でしかない代物まで、幅広く展示されていた。

無名の、それほど才能の無い、前衛的なソースライター。

私はその個展から、そんな人物像を思い描いた。


「ほぉ、あんたも来てたのか。でも、残念だったな。ここにはあまり評価する価値のある作品はないようだ」

同業者、それも私が所属する出版社のライバル会社に勤める鑑定士が、私に声をかけてきた。

「そうですね。目立って良いものは見当たらないようです」

私は彼の言葉に同意すると、もう一度、ソースたちの置かれた棚に目を戻した。正直なところ、私は同業者というものが苦手だった。

逃れるように、まだ見ていなかったソースを手に取り、目を通し始めた。

「ああ、そいつか。いい部分もあるんだけどな。その、9個のビットをフルに使って全ての分岐を表現してるところとかな」

確かにそれはよく練られた設計に基づいて、流れるように、そして簡潔に、処理が進んでいた。例えるなら冬の寒い日、換気の為に窓を開けた部屋に、急速に冷気が浸透していくような、鋭く流れこむようなフローだった。

「しっかし、なんでそんな綺麗なことしてるのに、全体で見るとそんな風になっちまうのかなぁ」

そう、このソースには決定的な欠落がいくつもあった。

1つは処理の重複。

まるで、最後の最後で時間が無くなった為に、強引にコードの使い回しを貼り付けたような不完全さ。そんな違和感の詰まった切れ端が、ソースの中にいくつも忍び込んでいた。

そしてもう1つ、決定的な欠落。

このソースの中には、まるで別の人間が書いたかのような、それまで培っていた統一性をほんの数行で全て破壊してしまうような記述があった。

「酷いもんだろ。見られたところがある分、欠落が目立ち過ぎちまう」

確かに欠落は目に付いた。だけど、僕はその中に別の何かを感じていた。なんだろう、見ているだけで心が乱される。

このソースは、こうなるべきじゃなかった。なのに、何かの力で歪められて、こんな風になってしまった。

それはまるで、この世の不条理を一身に受けているかのように感じられた。

「これは、名品です」

全てを読み終わった後、僕はそう断言した。

「おいおい、若いの。おまえの目は節穴か? これのどこが名品なんだ?」

鑑定士が苦笑いしながら言った。だから僕はソースを流し見てから、もう一度言った。

「これは、名品です」

いくつものソースが散らばるこの部屋を抜ける時、僕は初めて個展の主が、数日前にデスマーチの中で命を終えたことを知った。


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元ネタはたぶん太宰の短編デス。

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posted by MW at 02:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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